筆者のプロフィール

プロフィール プロフィール

はじめまして、こんにちは、ひとしです。

当方のプロフィール記事にアクセスしていただき、誠にありがとうございます。

この記事では本ブログの筆者である「ひとし」の簡単な経歴をご紹介いたします。
(5月1日:初稿)
(6月25日:更新)

1.基本プロフィール

まず私の基本的なプロフィールです。

  • 次男
  • 1985年誕
  • ひとしは本名
  • 関西出身・在住
  • 松本人志を尊敬する
  • 親孝行を第一に考える
  • 2019年に令和婚をした
  • 国立病院系の病院に勤務
  • 几帳面だけどいい加減なO型
  • 血液型と性格は関係ないと考えている
  • 2020年1月よりブログを開始・虎を目指す

 

2.大学・専門学校編

高校3年時、「ガンダム」のプラモデル製作が大好きで、『ホビージャパン』という模型誌を愛読しながら楽しんでいました。

「『ホビージャパン』に取り上げられるようなプロのプラモデラーになりたいな・・」

大志を抱きながらも、狭き門で絶対に無理だと考えてしまい、ガンプラは趣味で楽しむことに決めました。

他にやりたい仕事もみつからなかったため、当時の流行だった介護業界に目を向けました。

「介護業界なら職に困ることはないだろうな」と考え、その道に進むべく専門学校(福祉系)に行きながら福祉系学部の通信制大学のカリキュラムを併修しました。

2-1.アルバイト編

その専門学校および大学の4年間では勉学の他、アルバイトに必死になって取り組みました。

北新地にある名だたる魚料理屋でのアルバイトは、食器の洗い場から始まり、調理補助やホールスタッフも担当させてもらいました。

社員にとっては過酷な労働環境なので人が続かず慢性的な人手不足でしたが、それが私には幸いし、最終的にバイトには異例のポジションを任せてもらうまでに至りました。

だし巻たまごや天ぷらなど、どのようにすればより美味しくできるかと常に考えながら、責任感を持って料理に取り組むことができました。

それほど一生懸命に料理と向き合っていましたから、一時はその魚料理屋に就職しようかとも考えましたが、両親に学校に行かせてもらっている手前、それはダメだろうと考え、普通に就職したのです。

脱サラして料理人を目指すことはいつでもできますが、新卒ブランドで就職することはその時しかできないと考えたのです。

魚料理屋で一緒に働いた社員やアルバイトの人たちとは今でも交流があり、独立して自分のお店を持った方も多く、一生懸命仕事に取り組む素晴らしい人たちと出会うことができたのだと嬉しく感じます。

世の中に楽なアルバイトはたくさんありますが、決して楽ではなかった魚料理屋のアルバイトは、私を大きく成長させてくれ、財産となる出会いを与えてくれたのでした。

2-2.就職・資格試験編

肝心の就職先ですが、専門学校の入学当初は介護業界への就職を考えていたものの、1ヶ月の高齢者施設実習を経験した結果、

あっさりと方向転換する・・(苦笑)

その後、医療事務の病院実習を2週間行き、そちらの方が性に合っていると感じて医療事務(診療情報管理士)として病院に就職したのでした。

専門学校では多くの資格に挑戦できるカリキュラムでしたが、私は全ての資格に合格することができました。

アルバイトに夢中になって学生の本分である勉強をないがしろにしては両親に申し訳ないため、そこは徹底しました。

 

3.社会人編

3-1.ブラック病院編

就職した病院は今の基準で考えると明らかなブラック企業でしたが、新卒で全くの世間知らずだった私は上司に反発しながらも約8年間勤続しました。

月30時間を超えるサービス残業や休日出勤、パワハラ、セクハラが当たり前のように横行していました。

上司がマネジメントを放棄し、全てを部下の努力や注意力不足の責任にして異常な状態を作り上げていました。

中でも組織関係者が出馬した時に業務で選挙活動をさせられたのはいい思い出です。(責任者は逮捕されました)

その後、上記の母校である専門学校から教員枠での採用の打診頂き、30歳を迎えた年に専門学校の教員に転職しました。

「これでブラックな職場から脱出することができる・・!」と思ったのですが、

ところがどっこい、母校は前職の病院よりさらにブラック企業でした・・

3-2.ブラック専門学校編

母校の専門学校のブラックさは病院の比ではありませんでした。

無限のサービス残業、パワハラ、アカハラ、アルハラ、不当な人事、消費者意識の強い学生・・と、四面楚歌にもほどがありました。

これほどまでに底辺の教育現場は過酷なものなのかと、戦慄した次第です。

また、学生が集まらない(定員割れしている)学科の担当だったため、肩身が狭くまるで犯罪者のような扱いを受けていました。

営業や業績争いなどがしたくなかったら医療福祉の道に進んだということもあるのですが、専門学校では第一に営業活動が求められました。

苦手な営業活動に振り回され、満足な授業をすることもできず、まともな在校生には迷惑をかけてしまっていました。

石の上にも三年」と、なんとか3年間は勤めたものの、異常な環境過ぎてそれ以上続けることはできず、現在の職場へ33歳で転職しました。

3-3.純白のホワイト病院編

現在勤めているところは、再び病院ではありますが、大学病院にて前職・前々職とは比べ物にならないほどの超ホワイトな職場環境であり、時間と心のゆとりを感じた日々を送っています。

「どこも同じだ」だと勝手に考えていましたが、全くそんなことはありませんでした。

これほどまでに働きやすく、労働者のことを第一に考えてくれる職場があるのか・・。

またプライベートでは2019年に結婚し、綺麗な妻と楽しい日々を過ごす。

このような経歴を経て現在に至る次第です。

 

4.学び直し・ブログ執筆始動編

4-1.FPの一言

ホワイトな職場で一生懸命働いている中、そもそも私がこのブログを始めようと思ったのは、ファイナンシャルプランナー(FP)のある一言がきっかけでした。

2019年の年の瀬、結婚式の準備を進めていく中で式場が開催したイベントに参加しました。

そのイベントでは、式で用いる料理やお花、飾りつけや新婚旅行などの説明を各ブース単位でしてくれる他、結婚後の生活相談ブースもあったのです。

「結婚後の生活の不安をサポートします!」

そのような謳い文句でファイナンシャルプランナーの方がいろいろ教えてくれるというものです。

私たちを担当してくれたファイナンシャルプランナーの方は結婚式後の生活についてたくさん教えてくれましたが、その中で私はある言葉に度肝を抜かれました。

「日本人は金融リテラシーが低い」と。

えぇっ!? 金融リテラシー?

ITリテラシー」という言葉は把握しており、高めていくべきものであるという認識でしたが、金融リテラシーという言葉あるなんて・・

「株や投資、資産運用はギャンブルでありするべきではない」

という親からの言い伝えを頑なに守っていた私にとって、目からうろこの一言でした。

さらにそのファイナンシャルプランナーは続けてこう言いました。

「親に聞いても仕方がない。なぜなら親もやっていないのだから反対するのは当たり前だ。」

と言うのです。

そりゃそうだ・・私の親も世間一般的な昭和の親世代の例に漏れることなく、株式投資などやっていないのだからするべきではないという考えを持っています。

小学生の頃、両親があれだけテレビゲームを許容してくれたのは、自分たちがファミコンの楽しさを理解しており、マリオブラザーズやぷよぷよなどに興じていたからなのだなと、合点がいきました。

これはもう金融リテラシーを高めていくしかない!

そう考えた私の脳とGoogleはまるで同期しているかのごとく、その日を境に

こういった動画のラインナップがYoutubeのおすすめに出てくるようになり、お金について勉強していくこととなったのでした。

4-2.ブログ執筆開始

上記インフルエンサーの方々の動画等で勉強していく中で、

「勉強したことをアウトプットすれば知識の定着が進む」

ということをおっしゃった方がおり、それを実行すべくできたのがこのブログなのです。

ブログ名である「Libra Blog(ライブラブログ)」の名前の由来は、私がてんびん座(ライブラ)であることと、ファイナルファンタジーなどで敵のHPや弱点を知る魔法「ライブラ」から取りました。

ライブラの魔法のように、お金の勉強に関することや好きなマンガをはじめ、物事を深く考察した結果を記事にしていきます。

その他、ブラック企業での体験談バイクやDIYなど雑記ブログとして幅広く展開していきたいと考えます。

  • 両@学長のおっしゃる「経済的自由」を勝ち取るため、同じ志しを持つ方、一緒にがんばっていきましょう!

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