るろうに剣心の京都編突入までの時間経過を考察【東京編は大忙し】

るろうに剣心 マンガ・アニメ


大人気ジャンプマンガである「るろうに剣心」。

多くのファンの心をつかんだ魅力的なマンガで筆者も大好きです。

作中の中でも最も人気のある「京都編」ですが、今回はその京都編までの序章ともいうべき「東京編」の作中の時間経過について考察してきます。

実は東京編はわずか1か月程度だった!?

それぞれの物語を振り返っていきながら、一つずつ確認していきましょう。

本記事はあくまで原作のみを考察対象としており、アニメには言及していないことをご了承下さい。

1.東京編の始まりはいつ?

まず、るろうに剣心の舞台は明治11年からスタートします。

これは第一話でも名言されているので明らかです。

第2話で上着こそ羽織っていないもののマフラーをしている描写がありますが、具体的な日時は不明です。

1-1.明治11年5月7日

剣心が神谷道場にやってきた時期がわかるのは、50話あたりの5月7日に弥彦が「(剣心が)ここに来て3か月近く」と発言したことからです。

この弥彦の発言によって、剣心が神谷道場に来たのが概ね2月初旬ということが確定します。

1-2.明治11年5月14日

前項の弥彦の発言が5月7日と断定できるのは、史実である5月14日の大久保利通卿暗殺の一週間前だからです。

弥彦の発言と同日に剣心は斎藤一と戦ったのち、大久保利通卿から志々雄を倒すよう依頼されます。

「1週間後の5月14日に返事を聞きに来る」と、大久保卿が言ったため、前項の弥彦の発言が5月7日と断定できるのです。

大久保卿暗殺は史実のため、作者の和月伸宏先生は打ち切りを覚悟しながらも、大久保卿暗殺というビッグイベントを見越して舞台を明治11年からスタートさせたのだと考えます。

そして剣心は5月14日の夜に薫に別れを告げ、京都へと向かいました。

 

 

2.東京編の戦いに次ぐ戦い

以上のことから、左之助が仲間になってからの東京編は4月から5月14日までの約1ヶ月半の間の出来事ということになります。

いったいその一ヶ月半の間に剣心たちはどのような敵と戦ってきたのでしょうか?

それぞれの物語で要した日数と、剣心が負った傷を中心にみていきましょう。
(特筆がない場合、主語は剣心です)

2-1.左之助加入までの時間の流れ

2-1-1.1話:比留間兄弟

ある日の夜、剣心と薫が出会う。その数日後再開し、同日に比留間兄弟を撃破。

その日から剣心は神谷道場の居候となる。

この日が弥彦のいう”5月7日から逆算して3か月近く”の起算日である2月初旬です。

2月初旬では都合が悪いため、2月15日と仮定します。

2-1-2.2話:剣客警官隊

開幕に「1話から一週間後」と明言あり。

その日に剣客警官隊と戦い、これを撃破。

2-1-3.3話:弥彦初登場

開幕に「2話の翌日」と明言あり。

剣心が弥彦に財布をスラれて初対面。

同日に弥彦を組屋敷から連れ出し、神谷道場の門下生にする。

2-1-4.4話:菱卍愚連隊

開幕に「3話の一週間後」と明言あり。弥彦が薫の指導のもと稽古を始める。

翌日、菱卍愚連隊とのいざこざあり、剣心がこれを撤退させる。

早春」との表記がなされる。
(早春とは2月から3月にかけての時期を表します)

2-1-5.5話~8話:左之助初登場

4話から何日後かは明言なく不明。

剣心たちが赤べこに行き、左之助と初対面。

同日夜、左之助は比留間兄弟から剣心への喧嘩依頼を受ける。

その後2週間、左之助は京都へ赴き、剣心の素性を調べ上げる。

剣心と初対面から2週間後に東京に帰ってきた左之助は、その足で神谷道場に行き、剣心に喧嘩をふっかける。

その日にうちに喧嘩は決着。翌日、左之助が仲間になる。

2-2.黒笠編

2-2-1.扉絵の桜

扉絵で桜が描かれており、剣心が神谷道場に住みだした2月15日から前項の明示されている時間経過をみていくと、概ね桜が咲き乱れる4月初旬であると断定できます。

春は出会いの季節と言いますし、メインメンバーである剣心・薫・弥彦・左之助の4人の集結を春に持ってくるとは・・和月先生のお考えが好きです。

2-2-2.本編

左之助編より何日後かは明言なく不明。

薫の「毎日毎日タダ飯食らいにきて!」とお怒りのことから、1週間程度か?

同日、警察署長が来訪し、剣心に黒笠討伐を依頼する。

何日後か不明だが、剣心と左之助が谷十三郎の護衛につき、鵜堂刃衛と一戦交える。剣心が左腕を負傷。

その翌日、鎮守の森で鵜堂刃衛と戦い、左肩に刺傷。抜刀術にて撃破。

所要日数:2~3日程度

2-3.御庭番衆編

黒笠編より何日後か明言なく不明。

賭博場で御庭番衆の癋見を剣心と左之助が撃破。

同日、神谷道場で御庭番衆のひょっとこの大道芸に対して大道芸で返し、とどめは左之助で撃破。剣心と般若が少し戦い、顔面に一発くらう。

1週間後、恵がおはぎを作ってくれた日に観柳と般若に脅され、恵は観柳邸に戻る。

その際に残した置手紙で「10日ほどでしたが・・」と若干のズレあり。

同日、武田観柳邸にてまず御庭番衆の般若と戦い、顔面に2発殴打、右肩にかぎ爪による切り傷を受けるも撃破。

続いて蒼紫と戦い、顔面に蹴り・殴打、胸腹部に数発の殴打、逆刃刀を短く持つため右手で刃を握る。

回転剣舞をくらい、胸部に3本の切り傷。蒼紫の刀を白刃取りした際に刃を握り、両手を負傷。そのまま柄で蒼紫の喉笛を打ち、撃破。

その後、ガトリングガンをぶっ放す武田観柳を撃破。

所要日数:10日程度

2-4.弥彦の戦い編(番外編)

御庭番衆編から何日後か明言なく不明。

こそこそする弥彦。数日後、赤べこで働く弥彦を発見。

同日、弥彦が長岡幹雄一派にボコボコにされる。

翌日の晩(もしくは翌々日)、弥彦が燕を守るため長岡幹雄と戦う。

弥彦が主人公の物語のため、剣心はその威光をかざすのみ。

所要日数:7日程度

2-5.石動雷十太編

弥彦の戦いから何日後か不明。

薫の出稽古にしぶしぶ付き合い前川道場へ行く剣心。前川道場にて突如現れた石動雷十太と剣(竹刀)を交える。

何日後か不明のある日、由太郎邸に招待され、雷十太に協力を仰がれるもこれを拒否。

翌朝、由太郎が神谷道場に来訪し、薫が剣術を教える。同日、神谷道場にて雷十太の部下が襲来するも撃破。

10日後、夜道の中、剣心たちは雷十太に襲われ右腕を負傷するも、左腕一本で撃破。

何日後か不明のある日、雷十太に裏切られ傷心の由太郎をお見舞いするも会えず。一週間後にドイツに行くという由太郎父。

一週間後、ドイツへ出発を見送る。

所要日数:20日程度

2-6.月岡津南編(番外編)

錦絵屋で情報を仕入れ、その日に月岡津南に会いに行った左之助。

翌日、神谷道場で宴会をしたのち、内務省にて月岡津南と左之助と対峙するも、戦わずに解決。

しかし、そのあと大量の炸裂弾を埋めるために穴を掘る作業に骨が折れる。

所要日数:2日

2-7.斎藤一編

月岡津南編から何日後か明言なく不明。

斎藤一にボコボコにされる左之助。

表記はないが、おそらく2.3日後であろう5月7日、赤松有人の呼び出しを受け、草原での戦い。鎖で首と腕を縛られ、岩にぶつけられるも、全て受け身を取っておりほぼ無傷で撃破。

神谷道場に戻り、斎藤一と戦い。対空の牙突を受け、右胸部に切り傷(大)。蹴り、殴打、首絞めなど大怪我を負う。

戦いをやめ、大久保利通から志々雄真実暗殺の依頼をされる。

 

3.たったの1ヶ月の出来事

ここまで多くのイベントが剣心たちに振りかかってきましたが、左之助加入後から続く激戦が、4月初旬から5月7日までのたったの1ヶ月で繰り広げられてきました。

剣心、めちゃくちゃ忙しいですね!

もう作中で描かれていたことがそっくりそのまま毎日起こっているくらいでないと計算が合いません。

しかし戦い以外は結構リアリティのある『るろうに剣心』ですが、剣心の傷の治り方に関していえば『ワンピース』のゾロもびっくりの回復力です。

 

4.和月先生の考えを考察

ここで和月先生の考えに思いを馳せていきます。

作者である和月先生は『るろうに剣心』が初の連載であり、とにかくがむしゃらに必死に連載されていたことでしょう。

望まぬ打ち切りになってしまう可能性もありますから、「まずは30週を!」と考えていたようです。

そのようなお考えから察するに、剣心が明治11年5月14日に大久保卿暗殺をきっかけに京都に旅立つことは最初から決まっていたのでしょう。

「剣心は京都へ旅立った・・剣心の戦いはこれからだ!!ご愛読ありがとうございました。和月先生の次回作にご期待ください。」

という、打ち切りになった場合の落としどころを和月先生はあらかじめ用意していたと考えます。

「5月14日から逆算して、正月をまたぐとそれなりのイベントを描かないといけないのは面倒だし、剣心があんまり長く神谷道場にいたら京都に旅立ちにくくなるしまあ春前スタートでいいか」

そのような考えをもって、『るろうに剣心』の物語は明治11年の早春にスタートしたのではと推察します。

そして『るろうに剣心』は30週で終わるどころか人気が爆発し、物語を詰め込んだ結果、超過密な1ヶ月になってしまったのではないでしょうか。

 

5.おわりに

今回の記事のようなことを考えるのは無粋かもしれませんが、筆者が大変に「時間」に関心を持っているため、今回の考察となりました。

『るろうに剣心』は『サザエさん』や『ドラえもん』のように永遠にループ式でもなければ、『名探偵コナン』のように考察不可能なほど事件が起きているわけでもなく、ちょうどよい時間経過でした。

次回は京都編の時間経過について考察していきますので、ぜひそちらも併せてご覧ください。

 

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