るろうに剣心の京都編の時間経過について考察【妥当な時間経過】

志々雄真実 マンガ・アニメ


大人気ジャンプマンガである「るろうに剣心」。筆者も大変大好きなマンガです。

今回は作品の中でも人気のある「京都編」の作中の時間経過について考察してきます。

あの長い京都編は約3か月間の出来事だった!?

原作では約8巻から18巻と10巻分、58話~151話というボリュームで展開していきましたが、作中での時間経過はそれほど経っていなかったようです。

作中のイベントごとに所要時間を踏まえて解説していきますので、ぜひ最後までお読みください。

1.東京編について

剣心が明治11年の5月14日に東京を出発するまでの間を「東京編」と呼ばれていますが、そちらの時間経過に関する考察記事を別記事にまとめていますので、併せてお読みいただけると、より『るろうに剣心』の世界観を楽しめると思います。

 

2.京都編のイベントと所要日数

剣心が5月14日に東京を出発してからのイベントを書き出していきます。

2-1.操との出会いから新月村解放まで

剣心は5月14日の夜に神谷道場を出発し、東海道を進んで京都へ向かいます。

翌日、小田原の宿場町を越えたところで夜となり、山中で焚火をつけ、

「野宿は久しぶりでござるな・・・」

と言い、5月15日の夜を迎えます。

その後、操と出会い、一夜明けて5月16日

操に御庭番衆のことを質問されながらも無視しながら歩き進んでいるところで「箱根へ二里」の描写があり。

5月17日、操を撒くことを諦めた剣心は沼津あたりにある新月村にたどり着き、志々雄真実と初対面を果たします。

5月17日中に尖角を撃破し、宗次郎に逆刃刀を折られるも無事新月村を志々雄一派から解放。

「そしてその頃」と、舞台は左之助と安慈の修行編に移ります。

2-2.左之助の修業期間と剣心たちの京都着

左之助が安慈と出会ったのも5月17日です

その翌日から1週間かけて二重の極みを習得したのが5月25日の朝です。

この次の回には剣心と操が京都に到着していますが、5月17日の新月村から何日かけたのかは不明です。

左之助の修業期間まるまるかけて京都に着いたと考えるのが妥当ですので、剣心と操は5月25日京都に着いたとします。

ちなみに薫と弥彦もこの日に京都についています。

2人は5月15日に東京を出て船で京都に向かいましたので、海路は概ね10日間を要します

2-3.京都着から葵屋を後にするまで

京都に着いた翌日の5月26日、剣心たちは新井青空のもとへ行き、新しい逆刃刀を作ってもらうようお願いするも断られます。

その後、十本刀の張が青空の息子である伊織をさらい「新井赤空の最後の一振り」を取りに白山神社に向かったところを剣心が迎え撃つのですが、その日が5月26日から何日か経っているようです。

剣心と帳が戦った日から5月26日を遡ると、「先日」や「この間」と表現されていますが、日にちは不明です。

張を撃破し逆刃刀・真打を入手した翌日、剣心は葵屋を出ていきますが、その際、翁に「十日間の滞在費」を請求されかけていますので、葵屋に着いた5月25日の10日後としてこの日を6月3日と断定できます。

2-4.飛天御剣流の奥義の会得

剣心が葵屋を出た日から3日後の6月6日、剣心の師匠である比古清十郎の居場所がわかったとのことで翁が狼煙を焚き、剣心に教えます。

同日、剣心は比古清十郎のもとにいき、奥義の伝授を依頼し、修行が開始します。

6月7日未明に葵屋に梟爪衆の奇襲を受けるも、翁たちはこれを撃破。

同日、翁は蒼紫と戦い、回転剣舞 六連を受け、瀕死の重体となります。

シーンは剣心と師匠に戻り、師匠の「修行に一週間も付き合っている」との発言から、一気に進んで6月13日と断定します。

この日に師匠は九頭龍閃を披露し、剣心に天翔龍閃の輪郭を把握させます。

しかし、「自分の中の欠けているもの」がわからない剣心に師匠は一晩考えさせます。

そして迎えた6月14日、剣心は師匠の放つ九頭龍閃を天翔龍閃で向かい撃ち、見事奥義を会得します。

九頭龍閃の発動を受け「」を感じた剣心の脳裏には走馬灯のように仲間との思い出が駆け巡り、「死ぬわけにはいかない!」と天翔龍閃を繰り出すのでした。

剣心の「欠けていたもの」は「生きようとする意志」だったのです。

奥義を会得したのも束の間、飛天御剣流は代々奥義の伝授と引き換えに師匠の命が失われるため、この師匠も死にかけます。

死なせてたまるか!」と必死に師匠を介抱する剣心。

一夜明けて6月15日、無事師匠は生きていました。

2-5.京都大火阻止と決戦

剣心はその日に山を降り、京都市内の警察署に馬車で向かいます。

6月15日の23時59分、志々雄一派は京都大火を企てます。

剣心、斉藤、左之助と操やその他御庭番衆、薫、弥彦の活躍によりこれを阻止。

6月16日の朝、剣心と左之助は葵屋に帰ってきました。

そして、翌日6月17日、志々雄真実のアジトにて決戦の火蓋が切って落とされるのでした。

その日、志々雄真実のアジトでは左之助vs安慈、斉藤vs宇水、剣心vs蒼紫、剣心vs宗次郎、剣心vs志々雄が戦い、葵屋では残りの十本刀と弥彦たちの攻防が繰り広げられていきました。

見事志々雄真実を撃破した剣心たちは6月18日の未明に葵屋に帰ってきました。 

2-6.療養と東京へ帰還

左之助の肩に背負われ、意識がないまま帰ってきた剣心も、一ヵ月の療養を経て7月18日に無事回復。

その日に警察の密偵となった張から十本刀のその後を聞きました。

次の回では前回の7月18日から何日経ったか明記されていませんが、薫が操たちに明日東京へ帰る旨を伝えていました。

その日に弥彦と左之助は志々雄のアジト跡へ、薫と恵は茶屋で話を、そして剣心は巴の墓参りに行きました。

余談ですが、この日の夕方に「剣心組」が一堂に会し、久しぶりの剣心の「おろ?」は感動ものです。

そして翌日、葵屋に別れを告げ、剣心一行は海路から東京へ帰還します。(海路は概ね10日間かかります)

神谷道場に到着した際、剣心は「3か月前にここを後にした」と言っていますので、東京に帰ってきた日は概ね8月14日です。

これを逆算すると、7月18日剣心回復→京都を出発8月4日→東京着8月14日となりました。

 

3.考察を振り返って

以上の考察の結果、京都編は5月14日から8月14日までの3か月の出来事であることがわかりました。

考察しなくても剣心が神谷道場に帰ってきた時の「3か月前に~」というセリフから、京都編の最初と最後の日にちは容易に算出できるのですが、間の日数となると、順を追って一つずつみていく必要がありました。

改めてみると、東京編のような超過密スケジュールではなく、決戦の6月17日以外は比較的タスクが少ないことがわかります。

また、剣心たちは決戦のあと、意外と京都でゆっくりしていたことも知ることができました。

 

4.誤りの指摘

ここで誤りを指摘していきます。

志々雄を撃破したあとの147話では、剣心が一ヶ月療養したことと併せて「その間に梅雨が終わり、季節は初夏へ」のナレーションが入ります。

明治11年の梅雨入りと梅雨明けの情報はネットでは見つけることができませんでしたが、1951年からの統計では

  • 梅雨入りは5/22~6/25(平年6/7)
  • 梅雨明けは6/29~8/4(平年7/21)

となっているため、剣心が回復した7月18日と相違ありません。

ですが、「初夏」は違います。「初夏」とは5月(5月6日頃~6月5日頃)であり、7月なら「晩夏」7月7日頃~8月7日頃」が正しいのです。
(「旧暦」なら余計にズレる)

連載当時、和月先生26~27歳であり、かつインターネットもほとんど無い時代ですので、物事を正しく調べることが困難な時代です。 

二十四節季のわずかなズレくらいは全く問題ではありません。

 

5.おわりに

『るろうに剣心』は何度もコミックスを読んでいましたが、日数に関しての検証は前回の東京編に続き、通常とは違った楽しみ方をさせてくれました。

最後に誤りを指摘する形になってしまいましたが、もちろん筆者は『るろうに剣心』が大好きであり、名作を生み出してくださった和月先生には大変感謝しております。

連載から20年以上経っても色褪せない作品ですので、ぜひ皆さんも今一度ご覧になってください。

 

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